トルコの風景 NO. 72007年01月23日 09:29

ブルーモスクにて

トルコの人々とイスラム教

トルコは政教分離の国だが、国民の多くはイスラム教徒。 イスラム教の教典「コーラン」は人々の生活の中にしっかりと根づいている。 ・信仰告白(アラーの他に神は無くモハメットは神の信徒あると唱える) ・礼拝(一日五回メッカに向かって祈る) ・喜捨(富める者は貧しきものへ施しをする) ・断食(イスラム暦第9月(マラダン)に30日間(日の出から日没まで)行う) ・巡礼(一生に一度メッカに詣でる) ということだが、イスタンブールのような大都会より、地方の村のほうが、早朝より一日5回マイクを通してコーランが読み上げられ人々がそれぞれの場で祈りをささげる姿が目に入った。  又行きのトルコ航空機の中で、多くのトルコ人と一緒になったが、その中でお一人だけ12時間の飛行の中で2回コーランを小さな声で唱え、礼拝している熱心なイスラム教徒の姿があった。

トルコの風景 NO.82007年01月23日 10:07

タイルの模様

ブルーモスクのタイル

イスラム教では、偶像礼拝を禁止しているため、人物や動物の姿を刻んだり描いたりすることはできなかった。 なので、幾何学模様や唐草・花模様などが発達し、それが連なった連続模様で独自の美しさを極めたとのこと。その最たる芸術品が、モスクの壁やドーム内のタイル画であったりひきつめられたトルコ絨毯の模様なのだろう。

トルコの風景 NO.92007年01月24日 10:59

キリストと洗礼者ヨハネ

ハギヤ・ソフィヤ

直径30m高さ54mのドームを中心に聳え立つビザンチン建築の大聖堂。ローマ帝国時代にキリスト教会として立てられたが、第4次十字軍やオスマントイルコ軍によって、略奪征服された歴史の中で、モスクとなった。ビザンチン美術の傑作といわれる、モザイク画の数々も500年もの間、漆喰で塗りつぶされていた。 ハギアソフィアのモザイク画に使用されているのは、金箔のガラスキューブ。広大なドームの天井や壁に惜しみなく使われている金モザイクは、キューブにして一億五千万個およそ一トンのガラスが使われたと見積もられる。 現在では、モザイク画も復元修復され「キリストを抱いた聖母マリア」「大天使ガブリエル」など、世界的な傑作を有する博物館として一般に公開されている。その繊細さとスケールは圧巻でした~!

トルコの風景 NO 102007年01月26日 18:19

アヤソフィア博物館(ハギヤソフィア)

ハギア.ソフィアはブルーモスクと向かい合わせにたっている。 外観はブルーモスクよりもう一回り高く大きい。 最初のハギア・ソフィアはコンスタンティウス大帝が建てたといわれているが、息子のコンスタンティウスⅡ世が建設し360年に神に奉納したという古文書があるらしい。その後、何度も、火災や地震で炎上・崩壊を繰り返し、2番目、3番目が建てられ、それも十字軍や、火災・地震で崩壊修復を繰り返して現在に至っている。1923年にトルコ共和国が成立し、やっとモザイク画の修復作業が開始され、1934年アヤソフィア博物館としてオープン。1990年から新たな修復工事が今もつづいている。 中に入ると、何本もの太い大理石の柱で支えられた、高いドームのスケールの大きさに驚く。いったいどうやってこのドームを支えているのだろうかと。。。又どうやってこの太い柱を運んできたのだろうかと。。。 そしてこの高いドームの天井にどうやって細かいモザイク画を描いていったのだろうかと。。。

トルコの風景 NO.112007年01月26日 18:54

アヤソフィア博物館内部(ハギアソフィア)

ハギアソフィアはキリスト教の教会だったが、オスマントルコのメフメットⅡ世はついにハギアソフィア大聖堂をイスラム寺院モスクに改造した。ドーム上の十字架は直ちに三日月に変えられ、祭壇・イコン・聖遺物・鐘楼の鐘もはずされ、祭壇の後にはメッカの方向を示すミヒラブが設けられ、礼拝のときを知らせる、尖塔ミナレットを建築し、1935年にトルコ共和国建国の親アタチュルクがここを博物館にするまでの482年間ハギアソフィアはイスラムの礼拝堂であった。なので、ドーム内には、コーランの文章が掲げられている。 本当にキリスト教とイスラム教が混在している。